ことばの壁を越えて届くもの。台湾から来た私が、日本で映像と暮らしをつないだ“伝える力”の軌跡
2025.07.10

ことばの壁を越えて届くもの。台湾から来た私が、日本で映像と暮らしをつないだ“伝える力”の軌跡

  • LIGHT THE WAYのこと

見知らぬ国で暮らしはじめると、「当たり前」が一つひとつ塗り替えられていきます。何気なく目に入る風景、耳にする言葉、人との間に流れる空気。それらが、少しずつ、自分の輪郭を変えていく。
台湾から日本へ渡って3年。新しい土地での生活と、映像を通じた表現を続けるなかで、私は「観察すること」と「伝えること」の意味を何度も考えるようになりました。これは、そんな日々のなかで見つけた小さな驚きや問い、そしてその積み重ねから生まれた、ひとつの道のりの記録です。

初めまして、2025年2月に中途入社した黄珮庭(コウ ハイテイ)です。
チームの中で私の実家は最も遠く、台湾にあります。以前は観光客として何度も日本を訪れていましたが、まさかノートパソコンと在留カードを持って、日常的に働くことになるとは思ってもいませんでした。

慣れた中国語の世界から、不慣れな日本語の世界へ。台湾ではバイクが通勤の相棒でしたが、日本に来てからは毎日歩いたり電車に乗ったりして移動する生活に。生まれてから呼ばれていた「黄」という名字も「Huang」から「Kou」と呼ばれるようになり、同じ漢字でも読み方が変わるなんて、まるで別の次元に来たような気分でした。 日本留学を決めたあの瞬間こそが、私にとって最も大きく人生を変えた選択だったのかもしれません。

私を日本へ導いた一本のアニメーション─日本との最初の接点

日本とつながる最初のきっかけは、私が台湾で通っていた学校の日本の姉妹校である静岡の「清水高校」との交流会でした。その時は、剣道を体験したり一緒にお弁当を食べたりと、日本の高校生たちとさまざまな交流をしました。彼らの情熱や伝統文化を大切にする姿勢がとても印象に残っています。その後も何度か日本を観光で訪れる機会はありましたが、「日本で生活をしてみたい!」という気持ちはまだはっきりとは持っていませんでした。

高校時代に日本の学校へ交流する際に、サムライへ変身した私(左から三番目)

日本を強く意識したのは、高校の歴史の授業で出会った一本のアニメーション映像だったかもしれません。ある日、先生が流したアニメーション動画で退屈に思っていた歴史の内容が鮮やかに頭に入ってきたのです。 「こんなふうに伝える方法もあるんだ」と驚いた体験は今でも忘れられません。

高校の歴史の授業で流されたアニメーション(Youtubeチャンネル:Taiwan Bar)

その後、大学ではデジタルメディアデザインを専攻し、Web、3DCG、映像制作など、幅広く学びました。授業で参考にされる作品はジブリや面白いCMなどの事例が多く、日本は私たちにとって創造性の宝庫だと感じました。でも、私の中にはずっと気になることがありました。「日本って真面目で几帳面なイメージなのに、どうしてこんなに自由でユニークな発想ができるんだろう?」という疑問です。

そんな疑問を抱えていたある日、大学のチームメンバーであり、今のパートナーでもある友人から「一緒に日本で1年間勉強してみない?」と声をかけられました。その時の私は海外で暮らす勇気はなかったため、台湾で就職して会社員として働く人生を想像していました。でも、その一言がきっかけで、自分の前に新しい分かれ道が現れたように感じたのです。
「日本に行って、自分の目で創作の現場を見てみたい」。私は日本行きを決意しました。

突然訪れたコロナ禍で留学は延期に

しかし、人生はいつも台本通りには進みません。卒業した年に、まさかのタイミングでコロナ禍が広がり始めて、日本行きはあっさり延期に。「このまま台湾で就職した方がいいのかな…」という気持ちもありましたが、 このチャンスを逃したらもう二度とないと強く思いました。「どうせ半年くらい元に戻るじゃないかな」と軽く考えていたので就職は選ばず、フリーランスとして活動していく道に賭けることにしたのです。
卒業したばかりの私には仕事の経験が何もなかったため、学んできたスキルを活かせそうな仕事があれば、なんでも挑戦しました。コロナが明ける日を期待して、ひたすらスキルを磨く日々を送りました。そのあいだにも、次々と正社員としてのキャリアを積み重ねていく友人たちを横目に、「私の選択は遠回りになっているんじゃないか」 そんな不安に何度も襲われました。

ほぼ毎日在宅作業していた私

しかし、だからこそ得られたものもありました。時間に追われない日々の中で、自主企画にじっくりと取り組めたこと。そして、それらがきっかけで大手制作会社との協業につながりました。「もういっそ台湾でブランド立ち上げる?」なんて話も出ましたが、異なる文化圏で暮らすという経験は、あとになって「やればよかった」と思っても、その時にはもう手に入らない―そんな気持ちをずっと持っていました。

そして一年半後、日本での新しい暮らしをスタートさせるため、私たちはスーツケースいっぱいの暮らしの道具と、少しの不安とたっぷりの期待を詰め込んで、日本へ飛び立ちました。

日本の生活で学んだ「観察」と「伝える」

はるばる日本へ渡り、ついに新生活が始まりました。 語学学校に通い日本語を勉強しながら、台湾の案件をリモートで進める毎日でした。 語学学校では、さまざまな国のクラスメートたちが、日本語で一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていました。「どうすれば伝わるか?」を手探りで探り合うような空気がとても面白く感じられました。

国によって文化や表現の仕方が異なる中で、特に気をつけなければいけないと思った出来事もありました。それは言葉の使い方です。台湾では「は?」という言葉で「え?」というような軽い聞き返しをよく使っていましたが、日本ではそれが怒っているように受け取られてしまうことがあります。それ以来、言葉を選ぶことの大切さを実感し、より慎重に表現を選ぶようになりました。「伝える」とは、単に言語を使うことではなく、相手への配慮を含めた行為なのだと感じるようになったのです。

日本語学校の課外授業で、一緒にディズニーランドに行ったベトナム・韓国・中国の友たち

そんなふうに言葉の背景や使い方に関心を持ち始めたのは「雑談力」の授業がきっかけです。日本の“雑談”は、ただ言葉を交わす行為というだけでなく、相手の反応を読み取りながら空気を整えていく、ちょっとした共同作業のように感じました。きっと、こうした日常の中で周囲の雰囲気を敏感にキャッチする習慣があるからこそ、日本では人の心に残るコピーや広告が生まれるのかもしれません。目立つ言葉ではなく、丁寧に観察したからこそ選ばれた「みんなの興味にそっと引っかかる言葉」。だからこそ、自然に人の感情に届くのだと気づきました。

このような気づきが増えていくにつれ、日本での生活のなかでは、ふとした瞬間がより印象深く感じられるようになりました。たとえば、スーパーの店員さんが倉庫に入る前にお辞儀をする姿、映画のエンドロールを静かに見届ける観客、混雑した電車の中で本を黙々と読み続ける人たち——台湾ではなかなか見られなかったそんな日常の小さな風景に惹かれ、「この感覚を、映像で伝えたい」という思いが強くなっていきました。

そこで、日本での暮らしの中で感じたことをテーマに、いくつかの作品を制作することにしました。春はお花見とピクニック、夏は喫茶店の「アイス」の旗、秋は街を走り回るさつまいもの車、冬は遅くまで温かさを届けてくれる自動販売機——日本の街で四季を感じられるシーンをビジュアル化したいと考え、アニメーションを作りました。そうして自分なりの「観察」と「伝える」を続けていくうちに、ふと気がつくと「もう少しここにいたい」と思うようになっていました。

節分に鬼に豆を投げる体験もモチーフにして、自主制作のアニメーション

「伝える」を意識すれば仕事のプロセスは楽しくなる

語学学校を卒業してからはBtoBの映像制作会社に就職し、その後ディレクターとしてLIGHT THE WAYに入りました。これまで私は主にデザイナーとして、一人で制作を完結させることが多く、どちらかといえば“手を動かす側”として仕事をしてきました。これまでにも進行管理や修正の対応に関わることはありましたが、現在はディレクターとして全体を見ながら指示を出す機会が格段に多くなり、日々新しい視点を得ながら取り組んでいます。

また、会社ではお互いの意見を交換し合ったり、メンバーを巻き込んで自主企画を進めたりしています。さらに、定期的に映像リファレンスを共有する勉強会や、CGのスキルアップを目的とした社内イベントも行われていて、インプットとアウトプットの場が豊富に用意されています。そうした取り組みを通じてメンバーと感性を共有する機会が広がってきました。その結果、日本語や映像について学びながら、「あ、見たことがある!」「これ、いいよね」と気軽に共感し合えるようになり、ここに居場所があると感じるようになりました。

そんな環境の中で、自分のこれまでのやり方を見つめ直す機会も生まれました。以前は、限られた時間の中でスムーズに進行させるため、指示をもとに先回りして作業を進めることが多く、効率よくアウトプットすることを重視していました。その結果、修正の手間が減り、一定の成果を得られていましたが、プロセスにおけるやりとりの時間は自然と少なくなっていたように思います。

今では、チームやクライアントと丁寧にコミュニケーションを取りながら、一緒に考え、形にしていくプロセスの楽しさを実感するようになりました。やりとりを重ねることで理解が深まり、制作そのものにも手応えを感じられるようになってきています。「伝えること」って、こんなにも大事で、そして奥が深いものなんだな—そんなふうに、コミュニケーションの大切さを改めて実感しています。

観察はあらゆるものの美しさに気づかせてくれる

日本での生活を通じてさまざまな人と交流することで、多様な視点で見られるようになりました。その経験を通して、かえって台湾の魅力にもたくさん気づくようになりました。

以前は「ダサい」と思っていた地元の看板も今ではどこか不器用な美しさを持っているように見えます。派手で奇抜な色で彩られたカバンやバラバラに並んだ看板も「見てほしい」という強い思いが込められているからこその表現なのかもしれません。古びたドアや鉄の窓枠に施された花模様には、今ではなかなか再現できないほど細やかな工夫が感じられます。その土地に根ざした表現や背景を知ることで、思いがけない発見があり、物事の面白さに改めて気づかされました。

きっと美しさがなかったのではなく、それに気づく視点を当時の私はまだ持てていなかっただけなのだと思います。だからこそ、これからもさまざまな場所に身を置き、目を凝らして、その土地ならではの魅力をすくい上げていけるような表現を続けていきたいと思っています。

日本のまちをゆっくり歩く時間が、日常の一部になっていました

伝える力で、文化に橋をかける

日本に来てから3年が経ちましたが、まだ日本語でうまく伝えられないことがたくさんあります。それでも近年は、AI技術の進化によって言語や知識の壁が以前よりもずっと低くなり、今では誰もがツールを使って自由に発信できる時代になりました。だからこそ、これからは「伝えること」そのものの質がより一層大切になっていくのではないかと感じています。どんな言葉で、どんな形で届けるのか。誰かにとっての「わかりにくい」を「わかりやすい」に変えること。「無関心」を「ちょっと気になる」に変えること。

あの日、高校の歴史の授業で見たアニメーション映像のように、誰かの好奇心にそっと火を灯すような表現をこれからもつくっていけたらと思っています。

きっとこの先も思いがけない回り道に出会うことがあるかもしれません。でも、そうした経験があるからこそ多様な視点に触れ、少しずつ世界の見え方が変わっていくのだと思います。一歩一歩、丁寧に積み重ねながら、異なる文化と文化の間にたとえ小さくても人の思いが行き交うような橋を「伝える力」で架けていきたいと考えています。これからも、台湾と日本、そしてその先の世界へと、映像を通して人々の心をつなげていけたらと思っています。

編集者:高橋直貴

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